施術者プロフィール
< 経歴 >
- 萩原 健 (はぎわら たけし)
- 1974年生まれ 東京出身
- 国士舘大学政治経済学部卒業
- アトラス・オステオパシー学院講師
- ジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシーJCO(全日3年制)卒
インターン過程終了 - 日本オステオパシー連合認定MRO(J)取得→新団体設立の為2009年9月返上
- ウエストバージニア・スクール・オブ・オステオパシック・メディスンにて解剖実習
- WOHO(米国に本部を置く世界オステオパシー保健機構)会員
ごあいさつ 院長ブログはこちら→トリート雑記
今はオステオパシーに惚れ込み、施術家として生活をさせて頂いていますが、
そこに至るまでのことをお話させて頂きます。
かなり脱線しているかもしれないので、お時間のある方は肩の力を抜いておつきあい下さい。
運動部を通して
高校での部活は、人体を道具として鍛え上げる事がとにかくかっこいいと感じていたので空手を始めました。一度始めると真面目にやるタイプなので部長にも選ばれました。沖縄空手であるその流派は、師匠がかの80年代ハリウッド映画「ベストキッド」の演技指導をした先生という事もあり、大変奥深く勉強になりました。関節の使い方や、いまや立場的に逆に「おねがいだからやめて!」という、効果的な傷め方などを身を通して勉強する機会となりました。
今でも覚えているエピソードなのですが、ある日、体に出来たあざを数えたら26箇所ありました。それでも経験をつむ毎にあざが出来なくなり、先輩に聞くと「細い毛細血管が切れてなくなるからさ」と教えられました。しかし当時も、今聞いても「それはどうかなあ?」と思っています。おそらく筋膜組織がぶ厚くなったのか、無理をしなくなったからではないでしょうか。
とにかく、沢山怪我をして自分自身の体調の変化を勉強出来た、
ポジティブに考えればよい経験だったと思います。
アウトドアな仕事を通して
大学を出る頃には将来の就職先を真剣に考える事が当たり前ですが、私が真剣に考えた結果は旅に出る事でした。就職情報誌を見るとどうしても体が固まってしまう事と、子供の頃からいわゆるエコに対して危機感を持っていたので、「一生やるならば」と何かを探しに出かけてしまいました(おはずかしいです)。
陸路と鹿児島からのフェリーで一週間後には屋久島に到着していました。屋久島にうみがめが来る事すら知らなかったのですが、数日後には「屋久島うみがめ研究会」というボランティア団体に所属し、夜は朝まではうみがめの調査、朝方は朝日を眺めながら島焼酎、昼はカヌーにスキンダイビング、という生活を経験しました。そこで知り合った仲間をきっかけに約10年、シーカヤックという海でするカヤックのガイドを軸にアウトドア関係の会社で働きました。今は仕事としては辞めてしまいましたが、仕事を通して出会った仲間が全国に居る事を本当に幸せに感じて日々過ごしています。
自然を通じて得た経験や、会社にも就職して組織の中で思いきり鍛えられた経験は、私という施術家の大きな糧となっています。
元々、都会に住む人々を外に連れ出して元気になってほしいと思って始めたアウトドア関係の仕事でしたが、私自身の自然や環境に対する意識の焦点が、そこで懸命に生きる自分達、人間自身に形を変えシフトした事により、今と連続したものを感じながら日々施術しています。
出張施術家としての経験
全日3年制のオステオパシーの専門校に在学中から、少しづつ出張による施術をさせて頂いていました。しかし実際は「クライアントが改善しない」「施術のリズムがつかめない」「施術用ポータブルベッドが重すぎて自分の腰が悪くなり寝込む」など、始めた頃は正直言うと楽しい事などありませんでした。
それでもクライアントを前にすると元気になるようで、どんなに気分や体調が悪くても施術が始まると回復し、どんどん楽しくなってゆく自分に気がつきました。それと同時に施術効果が上がってゆくのを感じ、「向いているな」と確信して迷いが吹っ切れました。以降は必死に勉強し、施術ベッドも移動しやすいように改良をして施術を続けていました。
出張訪問と神楽坂のレンタルルームでの施術を行っておりましたが、
より多くの方にオステオパシー施術をさせて頂く為、2009年からは当院を開院させて頂いています。