トリートの存在意義

私がオステオパシー施術院トリートを開業したのは、
「一生取り組める人生の道とは何か」に、たどり着いたからに他なりません。

私は若い青春と呼ばれる時期を、自然のフィールドとそこで出会う「純粋で不器用であるがゆえ、社会の枠から飛び出してしまった」人達の中で過ごし、育ちました。自身も不器用な為、みんなが歩いている道の外に出て色々な障壁にぶつかる痛みを感じる事が出来ないと生きている実感が持てなかったのです。遠い回り道をしましたが、旅をして出た私の結論は

「人や出来事を愛する事」、「良いものを出来るだけ感じて生きてゆく事」 でした。

多くの枠の外に出てしまった若者がそうするように、二十歳そこそこの私は資本主義的な社会の成り立ちをあたまから疑問視していました。しかし資本主義とは人類が現時点で到達した「みんなが幸せになる最良の方法」である事には変わりありません。気に食わないと言ってもはじまりません。私が大事にしたいのは「資本主義のあり方です。」

だいそれた言い回しになってしまいましたが、要はお互いに感謝され、感謝される関係の元に労働の契約として対価を得るという事が大事だと思ったのです。みなそれぞれが専門の職業を営み、例えば漁師さんが魚を沢山採る事が出来ても魚だけでは生きてゆく事が出来ないので他の食物と交換する。そこではお金という価値の交換による助け合い、共存の関係が成立すると思うのです。

私は、オステオパシーの専門知識を磨き、普段は体についての知識を徹底的に学ぶ余裕の無いひとに還元してゆきたい。という、ものすごくシンプルな発想の元に施術しているのです。

もうひとつ、批判的な事を書いてしまわなくてはなりませんが、私の施術院は「イメージ商売」ではありません。 「イメージ商売」については、例えば店を実際よりも良く見せようと努力したり、表面上はやさしい言葉でですが消費者の心理を脅かして執着を促すような商売のことです。世の中には実に多いと感じています。 私が頂いている対価は、科学的な知識によりクライアントの心身の制限を良い方向にもってゆき、より本人の望むように自己実現して頂くためだけのものです。
少なくとも私が出来る事は、
 

  • 専門家として人体、人間やそれに対する施術の研鑽を怠らない。
  • クライアントの健康の為に自分の持つもの全てをそそぐ。
  • 非現実的な事や脅迫観念の喚起をビジネス的に利用する商売に対しては常に否定的である。 

ということです。

特に健康や美しくなる為にあるとされる世界の現実は、理想とは離れてしまっている場合が多いと感じています。
私は今まで、月夜の森にかかる七色の虹、オレンジ色や緑色に燃え続ける巨大な流れ星、凍結した湖面に立ち見上げるオーロラ、月夜に漕ぐ海上のカヌーで1時間程傍を離れなかったイルカなど、美しいものを見る機会に恵まれました。その目から見ると、誰かの企んだお金もうけの為に、街で流行ってはすたれてゆくものに翻弄させられてしまう人達を不幸に感じてしまいます。

なぜなら、この宇宙で命を授かり、こうして頑張って日々の生活をして、仲間や家族が居て、何気なく食事をしたり、お話してる今の現実のほうが圧倒的に神秘的で、美しくて、すばらしい奇跡だからです。要は感じるかどうか。現実に目の前にある良いものをありのままに感じることが出来るかだと僕は思うのです。その為に、心身共に健康に過ごして頂くお手伝いを、私はして生きてゆきたいのです。

長くなりましたが、周り道をして私が価値を見出したものは驚くほどシンプルなものです。
ものすごく当たり前の事なのですが、他では見つからなかったもの。
 

「 体の事で困ったときに、
    その道の専門家に正面から真剣にみてもらえる場所 」
 

これがトリートの存在意義です。

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